Heaven or Hell

262 名前:Heaven or Hell :2006/05/02(火) 21:39:53 ID:8ux0gepLO
20XX年某月某日、23:48。天候、豪雨。
とある港の倉庫街の片隅。
そこに、二人の人影が向かい合っていた。
片方は長身で、右手に長刀を提げている男。
もう片方は、それより少し背が低く、両手に大きなナイフ、ククリナイフを持っている女。
二人はかつてともに肩を並べて戦っていた。男が女に愛の言葉を囁き、体を重ねる事もあった。
二人は公私ともに最高のパートナーだった。
しかし女は死に、男は心に癒える事の無い傷を負った。女は男に放たれた銃弾を代わりにに受け、倒れたのだ。
パートナーを失い、悲しみの底にあった男は、数日後に女の幽霊に会った。
男は、女が死してなお何かに囚われている事を悟った。
それが何かは今は分からない。しかし、このままでは女は間違いなく悪霊と化し、人々に害をなす存在になるだろう。
そうなる前に彼女の未練を断ち切り、成仏させようと、たとえこの手で最愛の女(ひと)を討つ事になろうとも。
そう男が誓った瞬間、女は姿を消した。
そして男は女を見つけ出し、対峙した。

「久しぶりだな、ラナ。」
「そうね、随分久しぶりね、レイ。」
男――レイが言い、女――ラナが応える。二人とも、わずかに寂しそうな微笑みを浮かべながら。


263 名前:Heaven or Hell :2006/05/02(火) 21:41:37 ID:8ux0gepLO
「…組織の規則、覚えてる?」
言葉を選びながら、ラナは問う。
僅かな逡巡の後、レイが答えた。
「ああ。幽霊は発見した場合、その時点での危険度の大小に関わらず、即刻排除せよ。幽霊を生み出す要因の最たる物である未練は、生者に害なす恐れがある怨恨である場合が多いから。」
無論、すべての幽霊が恨み辛みで幽霊になった訳ではない。
自分の死後に残される愛する人を心配し、その想いが形を変えて未練となり、幽霊となる場合も決して少なくない。
しかし、その想いも、度を超せば周囲に被害を与えかねない。
それ故、組織は幽霊に対する方針をそう位置づけた。
「よく覚えてたわね、規則を破ってばかりだったあなたが。」
「訓練所で徹底的に叩き込まれたからな。嫌でも思い出しちまうよ。」
他愛もない、しかし、今の二人にとってはとても重要で悲しい話題。
「今度ばかりはちゃんと規則を守ってよ?あなたはいつも規則を破って無茶をしていたから。」
悲しげに微笑みながらラナが言う。
「俺が規則を破って無茶したのは、規則を守って行動してたらヤバかった時だけだ。第一、ルールっつーのは破ってなんぼなんだよ。」
言って、二人で笑った。


264 名前:Heaven or Hell :2006/05/02(火) 21:42:49 ID:8ux0gepLO
「でも今度だけは絶対に規則を守って。気付いているかもしれないけれど、私の未練はあなたなのよ?
私が死んで、どれだけあなたが悲しんでいたか知ってる。だからこそ、それを乗り越えて、前に進んで欲しいの。
死んでしまった私の事を思い悩んで、それに囚われたあなたが任務に失敗してしまったら、死んでも死にきれない。」
無茶な要求だ、とレイは思った。いくら彼でも、かつてのパートナーを斬るのには抵抗がある。
レイが躊躇っていると、畳み掛けるようにラナが言い放った。
「あなたが私を斬れば、私は成仏するし、あなたは任務を遂行した事になる。
逆にこのまま私を斬らないと、私は悪霊になり、あなたを襲ってしまうかもしれない。
どっちを選ぶかは決まりきってる。天国か地獄か。選択肢は一つだけよ。」
頭を掻きながら、レイは口を開いた。
「相変わらずひでー女だよ、お前。前からそうだったよな、俺に無理難題押し付けて、出来なきゃ根性無し呼ばわりされて、出来てもすぐに次フッかけてきてよ。」
フッ、と笑ってレイは続けた。
「でもそんな毎日も良かった。ラナ、お前と一緒だったからな。お前の言ってる事はもっともだ。だからこそ、俺にはお前を斬れない。」


265 名前:Heaven or Hell :2006/05/02(火) 21:43:56 ID:8ux0gepLO
レイの言葉に、ラナは悲しげに、そして諦めたように言った。
「そう、ならあなたが自分の意思で私を斬るつもりは無いのね?」
「ああ、俺から斬りかかるつもりは無いよ。」
レイの言葉に、決意したようにラナが言い放った。
「なら……私と、戦いなさい。私はあなたを斬る。私に斬られたくないなら、私を斬って。」
言うが早いが、ラナはナイフを抜いて走り出し、レイに斬りかかった。
とっさにレイも長刀を抜き放ち、ラナのナイフを防ぐ。
「仕事前の決めゼリフ、覚えてる?」
いわゆる鍔迫り合いの状態でラナが問う。
「忘れるかよ……。『勝てば天国、負ければ地獄。Heaven or Hell. Let's Rock!!』」
言い切ったと同時にラナのナイフを弾く。
間髪を容れずにラナが両手で斬りかかる。レイが長刀で防ぐ。
レイが斬りかかる。ラナが両手のナイフで受け止める。
ラナが左右から同時に斬りかかる。刀の切っ先と柄でレイが受ける。

数十合も斬り結び、レイの顔に疲れの色が見え始めた。しかし、ラナは戦いを始めた時となんら変わらない涼しい顔をしていた。
(ラナは幽霊だから、疲れなんて無いのか!)
もう一度鍔迫り合いになり、互いに距離を取って体勢を整える。


266 名前:Heaven or Hell :2006/05/02(火) 21:45:16 ID:8ux0gepLO
ラナが両手のナイフを交錯させて突進して来た。レイは大上段で刀を振り下ろす。

ギィンッ!!

堅く重い金属がぶつかる音が響き、一瞬遅くレイの刀が衝撃で押し上げられ、右足が浮いた。
「終わりよっ!!」
もう一度ナイフを交錯させてラナが斬りかかる。
刹那。
「っせいやぁあああ!!」
浮いた右足を下ろす勢いを利用して、レイが渾身の力を込めて刀を振り下ろす。

ガギギィンッ!!

レイの刀がラナのナイフをへし折り、残った柄を弾き飛ばす。
返す刀でラナの喉元に切っ先を突きつける。
「ハァッ…ハァッ…ハァッ…」
二人とも肩で息をしながら、レイはラナの、ラナはレイの目を見た。
ラナは満足げに、レイは躊躇いがちに、同時に頷いた。
そして、レイはラナの胸に、刀を突き立てた。


全てが終わった後、その港の倉庫街には、右手に長刀を提げた男が佇んでいた。
雨はいまだ強く降り続け、男に容赦なく吹き付けた。
その男の顔に浮かぶ表情は、男の髪と、強すぎる雨足に阻まれて読み取る事は出来ない。
男の顔についた水滴が雨なのかすらも分からない。