泣き続けるバンシー
- 96 名前:本当にあった怖い名無し :2006/04/23(日) 20:15:51 ID:q5cKLA8f0
- 扉なんか開けなければ良かった。
確実な死がそこに待っていると知っていたら、どんなことがあろうと
扉を開けるような愚は冒さなかったに違いない。
でも……もう遅い。
俺は扉を開けて、見てしまった。
――泣き続けるバンシーを、見てしまった。
伝承に曰く
流れるような長い髪をたなびかせた、青白い顔
泣きはらしたせいで紅くなった瞳
緑衣の上には灰色のマント
……若い女の姿であることなど、この際なんの慰めにもならない。
“死者が出る家にはバンシーが訪れる”
この家には、俺しか住んでいないのだから。
- 97 名前:本当にあった怖い名無し :2006/04/23(日) 20:16:37 ID:q5cKLA8f0
- 交易商の父がこの街に腰を落ち着けたのは10年ほど前のことだ。
商人として優秀だった父は、それまでの蓄えを元手にしてこの街で住居を兼ねた
商店を開き、この地方では手に入りにくい品々までを取り揃えた店は街の人々や
旅人にも重宝された。順風満帆な日々。
そんな父の姿を見ながら成長した俺も、13の歳から商売の手伝いをするようになり
以降6年間はみっちりと商人の心得や商売のコツを叩き込まれた。
「……まあ、お前も半人前ぐらいにはなったかな」
微かな微笑を浮かべて満足気に呟いた父は、自らの死期を悟っていたのかもしれない。
俺が19歳になって間も無くしてから父は逝き、幼いころ既に母親を亡くしていた俺は
晴れて天涯孤独の身と相成った。それが悲しくなかったわけでは無いが、満ち足りた
表情で眠るように旅立った父の顔を思い出せば、この店を立派に守り通すことこそが
俺に出来る唯一の親孝行であるように思えた。
一人で店を切り盛りするのは重労働ではあったが、古参の商人仲間や馴染みの客に
助けられつつどうにかこうにか父の真似事をこなす。
そんな生活を二年も続けたある日、俺はバンシーを見てしまったのだ。
- 98 名前:本当にあった怖い名無し :2006/04/23(日) 20:17:27 ID:q5cKLA8f0
- いつも通りの時間に店閉まいし、遅い夕食を摂り終えた俺はランプを消して寝台に潜り込む。
夕刻から吹き始めた強い風は益々その勢いを増し、木の窓枠をギシギシと軋ませる。
目を閉じて眠気に身をゆだねようとしたその時―
…………ぁああ ぁー……
「……?」
風の音に混じり、高い声が聞こえた。身体を起こして耳を澄ます。
ああああああぁ……ぅぁあああああああああぁぁ……
「女の……泣き声?」
闇の中、手探りでランプを探して灯りを点す。
その声は店の入り口近くから聴こえてくるようだ。
寝室を出て店内を進み、樫で出来た重い扉の前に立つ。
この辺りは比較的平和な土地柄とは言え、街から街を繋ぐ街道では
稀に旅人や商隊が賊に襲われた、という話も聞く。
さてはそういった被害にあって逃げてきた人だろうか?
武器替わりの薪を握り締め、おそるおそる閂を外して扉を開けた。
「……………誰か、いるのか?」
びょうびょうと吹きすさぶ風の中、ランプを掲げて外の様子を伺った。
弱々しい灯りが照らし出したのは細い体と風に踊る髪だ。
悲しげに顔を両手で覆い、肩を震わせて泣く若い女。
濃緑色の衣と灰色のマントを視認した瞬間、脳裏に閃くものが俺を戦慄させる。
あれは確か……隣村の老人がいつか話していた――
- 99 名前:本当にあった怖い名無し :2006/04/23(日) 20:18:28 ID:q5cKLA8f0
- ――バンシー、といってな。家の前で泣いて、死者が出ることを伝える
――わしが子供の頃には時折見かけたもんがおった
――最近じゃあ、とんと噂にものぼらんが
そうだ、嘆きの精は――――――――確実な死を告げるのだ
「うっ…うわああああああああああああああああああっ!!!」
全力で扉を閉め、閂を下ろす。
鼓動は早まり身体には冷たい汗が滲んだ。
見てしまった。
見てしまった。
見てしまった。
この家には俺しかいないのに。
まだまだしなければならないことがあるのに。
「……なんで、俺なんだよ……」
床に膝をついて頭を垂れる。
俺はいつまで生きていられるのだろうか?
明日まで? 明後日まで? あの老人は何と言っていたっけ?
――死人が出た家のもんはな、口を揃えて「昨夜バンシーが出た」と言っとったよ
一晩、だけ? 猶予はそれだけなのか?
「そんな………」
時間が一瞬のようにも永遠のようにも感じられる中、震えながら夜を過ごした。
- 100 名前:本当にあった怖い名無し :2006/04/23(日) 20:19:21 ID:q5cKLA8f0
- 窓から差し込む光が瞼を突き刺す。
胡乱な頭で状況を把握しようとして――
「………っっ!!!!!!」
床から飛び起きた。
俺はいつの間にか眠ってしまっていたらしい。
それは別にいい。大した問題じゃない。
「……ここは……あの世なのか?」
身体にはきちんと感覚がある。どこにも異常は感じられない。
見回せばそこはいつも通りの店内で、周囲からは朝の早い人々が奏でる喧騒が聞こえてくる。
まったくもって、いつもと変わらない朝だ。
「はははっ…夢でも見たのかな俺」
そうだ、そうに違いない。
バンシーなんか見ていないし、俺が死ぬ理由は無い。
昨夜は仕事疲れで神経がやられていたのだろう。
よし、そうと決まれば……
「開店の準備でもするか」
商品の陳列を確認し、店内を掃除する。
僅かな時間で朝食を作り手早く腹ごしらえをする。
食器を片付けようとした時、棚と壁の間に何かが落ちているのが見えた。
顔を近づけてみると、それはネズミの死骸だった。
- 101 名前:本当にあった怖い名無し :2006/04/23(日) 20:20:20 ID:q5cKLA8f0
- 「うわ……どっから入り込んだんだよ……」
ぶつぶつ言いながら、まだ比較的新しいその死骸を片付ける。
保存食品の類も扱う店である以上、不衛生は敵だ。
そうこうしているうちに日は昇って行き、通りには様々な人々が溢れていく。
からんからーん
「おっと…お客さんだ」
前掛けを羽織りながら急いで店に出る。
あれこれと注文の多い客の相手を終える頃には、バンシーの夢などすっかり忘れていた。
その夜。
帳簿を付けながら仕入れ品目の選択に頭を悩ませていると、店の扉を叩く音が聞こえた。
すでに店は閉めている時間だが、極々稀にこういう客がいる。
無視してしまっても咎められる筋合いは無いだろうが、そこは俺とて商人の端くれ。
融通を利かせてあげれば以降はこの店を贔屓にしてくれるかもしれない、という打算もある。
店の明かりを点けて扉を開け、営業用の――
「いらっしゃ……」
「なんで生きてるのよっ!!!!!」
――笑顔も凍るほど酷いことを言われた。
- 102 名前:本当にあった怖い名無し :2006/04/23(日) 20:21:20 ID:q5cKLA8f0
- 「なんでよ!? 死んでるはずでしょー!?」
「……………えーと、あの……お客さん?」
「信じられない……確かにこの家から死の気配がしたのに……」
「もしもし? お客さん?」
腕組みしてブツブツと呟くのは、腰まで届く美しい黒髪の女の子だ。
野暮ったい緑衣と灰色のマントがいささか大きすぎるようで、裾をずるずると引きずっている。
可愛らしいとさえ言える顔立ちの中、紅玉色の瞳だけが異彩を放っていた。
少なくとも俺はこんな瞳の色をした人種を知らない。
緑衣に灰色の外套、おまけに紅い瞳なんて……そんなの、まるで。
「……バンシー!?」
「きゃあっ! ……な、何よいきなり大声だして」
「お、お前っ! 俺を殺しに来たのかっ!?」
「殺す? なんでよ?」
「いや、だってお前、ホラ」
言葉に詰まる。アレは夢だと思っていたのに、目前の少女は間違いなく現実だ。
であるならば……俺の死もまた現実ということになってしまう。
昨夜の絶望感がじりじりと背筋を這い登り、俺は慄然とした。
「……俺が死ななかったのが不満なのか。それでまたこうして……」
「それよ! あたしもそれが聞きたいの」
「へ?」
「この家って、あんた以外に誰か住んでる?」
「いや……俺一人だけど」
「濃密な死の気配を感じたのよ……だから昨夜、張り切って泣いたのにっ!」
- 103 名前:本当にあった怖い名無し :2006/04/23(日) 20:22:24 ID:q5cKLA8f0
- 鼻息荒くまくしたてる少女の姿は、戸口で悄然と泣き続けた姿とどうにも一致しない。
これでは嘆きの精ではなく憤りの精だ。こちらの思惑などどこ吹く風、といった様子で
バンシーは続ける。
「……納得いかない……納得いかないわ………あたしの初仕事だったのに……」
「でも俺はこうして生きてるしなあ」
「だったらあの気配は? 間違いなくこの家からだったわよ?」
「………あー……もしかして……」
そんなことはないだろう、と思いながらも一応伝えてみる。
言われてみればこの家に“死”が存在したことを。
ただしそれは……
「……………………………………………ねずみ?」
「うん、ねずみ」
「………何よそれ」
「灰色で、ちゅーと鳴く……」
「知ってるわよっ!!」
があっ、と口を開けて噛み付くように怒鳴る少女。
俺もいい加減、この状況が単なる八つ当たりだと理解していた。
自然と口調がきつくなる。
「死んだのが俺じゃなくて残念だったね。とにかく、お客さんじゃないなら帰ってくれ」
「……べ、別に死んでほしかったわけじゃ……ないけど……」
「バンシーを見た家の者がどれだけそれを恐れて、悲しむか知ってるのか?
逃れられない死ならわざわざ予告なんかしなければいいんだ……悪趣味な」
「……だって、だって……あたしの、お仕事だから……」
- 104 名前:本当にあった怖い名無し :2006/04/23(日) 20:23:22 ID:q5cKLA8f0
- しょんぼりと肩を落とす少女の姿は、さながら叱られた子供のようだ。
紅い瞳の端にはじんわりと涙が溜まり、いまにも零れ落ちそうに見える。
商人の俺は、商品を売るのが仕事。嘆きの精は、死者を悼んで泣くのが仕事。
頭では理解出来るが、どうにもこの少女に向いている仕事とは思えない。
……まあ、ねずみの死の気配すら感知できるのはある意味で優秀なのかもしれないが。
「ごめん、俺も言いすぎたよ。でもさ……ねずみと人の区別も出来ないのはちょっと……」
「う、うるさいうるさいっ!! 初めてだったからちょっと気負いすぎただけなのっ!!」
「……あー、確かに俺も店を一人で回しはじめた頃は良く失敗したなあ…
品物仕入れすぎてとんでもない在庫量になったり……」
「……………これは………!? 今度は間違いないわ……あの家から気配がするっ!」
「聞けよちくしょう!」
人が折角慰めるつもりで披露した失敗談も聞かず、数軒先の家を睨むバンシー。
あの家には確か……鍛冶屋の4人家族が住んでいたはずだ。
豪快な主人とキップのいいおかみさん、双子の子供達は七歳になったばかりだ。
あの中の誰かが、死ぬ?
「お、おい……ホントにあの家に……?」
「いってきまーす!!」
「待てってばよおいっ!!」
嘆きの精は身を翻し、鍛冶屋の戸口を目指してとてとてと走っていく。……あ、転んだ。
何事もなかったようなフリをしながら立ち上がり、服の土ぼこりをぱんぱんと掃う
バンシーの背中を眺めながら溜息をついた。今度もねずみだったらいいな、と思いながら。
- 105 名前:本当にあった怖い名無し :2006/04/23(日) 20:24:21 ID:q5cKLA8f0
- 翌朝早い時間に鍛冶屋を訪れた俺は、店先を掃除するおかみさんにそれとなく尋ねた。
「何か変わったことはなかったか」と。きょとんとしたのもつかの間、おかみさんは
不思議そうに答える。
「今朝起きてきたら、台所でうちの年寄り猫が眠るように死んでいた」
「子供たちが悲しむだろうから、どう伝えていいか困っている」
……ねずみではなかったが、ノリはかなり近いものがある。
きっとあのバンシーは、また今夜鍛冶屋におしかけて自らの予告を確かめるだろう。
あの荒くれ主人に怒鳴りつけられるバンシーの姿が目に浮かび、内心で決意を固める。
要らん騒ぎを起こす前に身柄を確保せねば。
「というわけで、またハズレです。……いや、ある意味では当たりなのかもしれないが」
「…………いきなり店に引っ張り込んでおいて、他に言うべきことはないの?」
店の椅子に座るのは、滅茶苦茶不満そうな顔をした件のバンシー。
ねずみから猫にクラスアップしたとはいえ、嘆きの精としてはかなりダメダメな結果である。
こいつはそのうちヤモリや蜘蛛の為に泣きかねない。
「お前ね……あの家の親父さんをこんな夜更けに叩き起こしてみろ。斧で頭カチ割られるぞ」
「ひいっ!」
頭を抱えて怯える姿を見て、少しばかり溜飲が下がる。
この人騒がせなへなちょこバンシーを放置しておくのは、本人(本精?)にも街の住民にも
よろしくない。意を決して厳しい言葉を告げる。
「お前さ、向いてないと思うよ。そのうち人間の気配にも行き当たるかもしれないけど
あまりにも予告の精度が低すぎるんじゃないか?」
「…………余計なお世話。あたしのお仕事の邪魔しないで」
「そもそも楽しくないだろ? 人の死を告げるために泣くだけなんて」
- 106 名前:本当にあった怖い名無し :2006/04/23(日) 20:25:20 ID:q5cKLA8f0
- 俺が言いたいのはそれだった。
逃れられない死を告げるのは、決して愉快なことではないだろう。
死を求めて彷徨うのならそれは死神と何ら変わらない。
悲しいことがあって嘆くのではなく、嘆くために悲しいことを探すのは――
「――なんか、つまんなくないか?」
「……訳知り顔で好き勝手言わないで! だって他に……」
「他に?」
「他に……すること、ないもん。できることも、ないもん」
「………………」
嘆きの精は、ようやく自分の為に嘆く。
そう在るように生まれた存在だから、そうするしかできないと。
改めて少女の姿を眺めてみる。紅い瞳の他は本当に普通の人間と変わらない。
いや……普通というには器量が良すぎるか。
「お前に出来る仕事があるんだけど、良かったら話だけでも聞いてみないか?」
「…………お仕事? あたしにできること?」
「ああ……実はな…………」
その夜、俺の店の明かりは随分長いこと灯っていた。
- 107 名前:本当にあった怖い名無し :2006/04/23(日) 20:26:23 ID:q5cKLA8f0
- 「いらっしゃいませ! 何をお探しですか?」
「ありがとうございましたー!」
その街には、小さいながらも品揃えの豊富な雑貨屋がある。
二十歳を少し過ぎた若い店主と、それよりもっと若い看板娘が二人で切り盛りする店だ。
「あれっ……確かに仕入れたはずだったんだけどな……」
「そこじゃないってば。ほら、暖炉側の棚の二段目!」
くるくると表情を変える看板娘は、いつも通りに店主を叱る。
「どちらが店主か分からない」と笑う常連客。
「しかしなんだね……店主、あんたいい奥さんつかまえたじゃないの」
「「奥さんじゃありません!!」」
「……二人して否定せんでも」
長い黒髪と紅い瞳の少女を見て、まるで嘆きの精のようだと言う人もいた。
店主と看板娘はそうすると決まって顔を見合わせて笑うのだ。
「ホント、この人かいしょー無しで困るんですよ。
あたしがいなかったらこのお店つぶれちゃうんじゃないかな?」
――看板娘は、それはそれは楽しそうに嘆きを洩らした。