素直じゃないキミに
- 31 名前:本当にあった怖い名無し :2006/04/20(木) 18:50:47 ID:mfStRfO/0
- 妙に安い物件だったので、“アレ”かと思っていた。
ところが入居してみると、変な悪寒も物音も、ましてや霊その物もいない。
念のため押し入れや風呂場、流し台の下まで調べたが、染みもお札も無い。
──そうか、夜中に現れるのか!
どっこい金縛りも耳元の囁きも夢に出てくる不気味な影もない。快眠だった。
だから油断した。このパターンは考えていなかった。
確かに、“執着”“未練”という意味では、案外絶好スポットなのかもしれない。
──まさか“郵便受けの前”にいるとは。
階段脇の郵便受けに、目付きの悪い若い女性の霊がいた。
その一角だけが、爽快な早朝をぶち壊しにするドロドロ空間。
日が昇っていて良かった。夜だったら逃げ帰って布団を被って震える。
「あの、新聞を取りたいのですが……」
勇気を出してお願いをする。女性は、じと、と睨むと、
「──取れば」
何とも無愛想である。いや、無愛想を通り越して、敵意すら感じる。
まあ、霊なのだから、そういうものなのかもしれない。
触らぬ霊に祟り無し。必要以上に卑屈になって新聞を抜き取る。なのに──
「ちょっと──、」
部屋に戻ろうとする僕を、彼女が呼び止めた。
ぴしり、と固まる。えと、何か気に障るようなことしちゃいましたか──?
「──郵便受けに名札を付けなさいよ。配達人が困るでしょ」
びしり、と指をさす先には、名無しの郵便受けが待っている。
表札は、透明なカバーとの間に名前を書いた紙を差し込むタイプ。
ダイレクトメールとか嫌なので、そのまま放置するつもりだったけど……
「……スイマセン、後で付けに来ます」
- 32 名前:本当にあった怖い名無し :2006/04/20(木) 18:52:03 ID:mfStRfO/0
- もしかして今日はいないかも……そんな甘っちょろい期待は、あっさり玉砕。
昨日同様、郵便受けの前には不機嫌顔の彼女が、ぷかぷか浮いていた。
「……新聞、取らせていただきます」
昨日同様おっかなびっくり新聞を取ると、見出しが一文字、破り取られていた。
──傍らに浮かぶ女性を見る。
何よ、とでも言うように睨まれたので、慌てて目を逸らす。
他には考えられない。しかし、霊の行動にしては、いささか軽い気がする。
気になって他のページもめくってみると、社会面にも破られた箇所がある。
前後から類推すると、切り取られた二文字は、ある名字を構成する。
──もしかして、
表札を見ると、自分の名前の下に並んで、予想した名が差し込んであった。
もう一度、彼女を見る。今度はいささかバツの悪そうな顔をしている。
それでもなお見つめていると、渋々というように、ぼそりと呟いた。
「……私宛の手紙が来るかもしれないでしょ」
──なるほど。
予想通り、彼女の未練は“そこ”にあるらしい。
────無理だ。
彼女がどれだけの間、“ここ”にいたのかは分からないが、もう恐らくは……
「…………っと、」
「──え?」
意識を引き戻され前を向くと──鬼が居た。一気に血の気が引く。
「何か文句ある? 無いんだったら、早く消えなさい」
死にたくなければ去れ──そう聞こえた。命が惜しいので、大急ぎで退散。
- 33 名前:本当にあった怖い名無し :2006/04/20(木) 18:53:04 ID:mfStRfO/0
- 切り貼りの脅迫状のような表札では、どうも落ち着かない。
なので翌朝、新たに彼女の名前を併記したプレートを作って持って行った。
「汚い字ね」
一蹴。名誉のために言っておくと、彼女が言うほど汚くない──はずだ。
名札を郵便受けに差し込むと、彼女は少しだけ嬉しそうな顔をした。
「しかし、こうして見ると……」
「何よ?」
「まるで僕たちが同棲しているみた──」
ぞく、と背筋が粟立った。
彼女を見ないように、ゆっくり回れ右をして──ダッシュで逃走。
次の日も、その次の日も、彼女はそこにいた。
もしかして──と期待したが、雨に日でも、やはりそこが指定席のようだ。
必然的に毎日顔を合わせることになる──となれば嫌でも慣れてくる。
口は悪いが実害はないので、半月もすれば別に怖がることもなくなった。
彼女の態度は冷たいままだが、それを気にすることも無くなった。
ついでに分かったこと。
どうやら彼女は、“入居者(ぼく)”意外には見えないらしい。
僕が彼女と顔を合わせるのは、朝に郵便を取りに行く時ぐらいである。
しかし、その他の時間でも──ふと覗いてみると、彼女は必ずそこに居る。
ずっと──“そこ”で待ち続けている。
────もう届くことのないであろう、彼女にとって大切な“何か”を
- 34 名前:本当にあった怖い名無し :2006/04/20(木) 18:54:23 ID:mfStRfO/0
- 入居して数ヶ月、彼女との関係は相変わらず──であった。
──それに気が付いたのは偶然。
前日に降った雨が作った水たまり。
──泥にまみれた、クシャクシャの絵葉書に気が付いた。
拾い上げ伸ばして見ると、泥汚れの下には美しい森の写真。
表に返すと、見慣れた特徴的な丸い字で、妹の名前と旅行の報告。
泥だらけで読めないところも多いが、それでも妹の喜びが伝わってくる。
ども〜、兄よ、元*してます***
私*今、学校をサボっ**達と屋久島に来*****
凄いっ! こ*神様がいるよ! 絶対に**って!
*の感動を、少**け兄にも分けて*げよ*。
実物はもっ**っとずっと**! ぜひ見*べし!*
た**は実家に*ってき*さい。お母さ**配*てるよ。
私も**産を用意して待っ*て**るから。そ*じゃ♪
何てことないメッセージに、ふっ、と心が和む。
こんなちょっとした物でも──手紙というのは凄く嬉しいものだ。
────それを、──こいつは、
「……何よ。文句ある」
睨み付けると、拗ねたような顔をして視線を逸らした。
──ああ、こいつはやっぱり、“霊”なのだ。これがコレの本質だ。
「……べ、別にいいじゃない、葉書の一枚ぐらい」
「どうせアンタはまた貰えるんでしょっ! 私は──私なんて、もう──っ!」
- 35 名前:本当にあった怖い名無し :2006/04/20(木) 18:55:40 ID:mfStRfO/0
- 「──当たり前だろ」
びく、と彼女の動きが止まり静かにになる。
それを無視し、郵便受けから名札を抜き取って、下半分を破り取る。
上半分だけ元に戻し、下半分は──細かく千切って泥水に捨てた。
「──あ、」
初めて見る表情。胸の奥が、じり、とする嫌な表情。
先程までの強気な──強がりな態度は消えて、代わりに現れたのは怯え。
だからどうした──許してやれと?
今の行為も、これから言う台詞も、彼女を傷付けると分かっていて──
「他人のだからって、手紙にこんなことする奴に──、」
どろどろくしゃくしゃの葉書を彼女の目線に突き付ける。
「そ、その──、ご……」
「────いったい誰が、手紙を送ってくれるって言うんだよ」
昼前から、また雨が降り出した。
今朝の新聞を取り忘れたことに気付いたが、面倒なので放置した。
翌朝、郵便受けに行くと、彼女の姿は無かった。
二日分の新聞だけ郵便受けに入っているのは、何だか妙な光景だった。
翌日も、その翌日も──彼女の姿は無かった。
──だからどうと言うのだ。そんなこと──僕には関係ない。
- 36 名前:本当にあった怖い名無し :2006/04/20(木) 18:56:56 ID:mfStRfO/0
- さらに次の日──ちょっとした出来事。
新聞の中に、小さく破けている箇所を見つけた。
見出しではなく、記事中の小さな文字が一文字だけ抜けていた。
ふとデジャビュを感じるが、不確かな記憶はすぐに霧散した。
──翌日も、目立たない箇所が一文字だけ切り取られていた。
────また翌日も、やはり一文字分だけ、虫食い箇所があった。
そして──
次の日、新聞を取ろうとして、小さな “手紙” に気が付いた。
──郵便受けの名札を差し込む場所に、見落としそうな小さな三文字。
ご め ん
右下の隅、目立たないように──しかし、きっちりと揃えられた切り貼り。
それと一緒に、青い小さな野草の花が差し込まれていた。
足元を見ると同じ花が一輪だけ、誰かによって摘まれていた。
まるで送り主の性格をそのまま表したような、小さな謝罪の手紙。
それが、ここから離れられない彼女なりの、精一杯だと伝わってくる。
ふっ、と心が和む。
ちょうど、妹から届いたあの手紙を読んだときと同じ気持ち。
小さな花を丁寧に引き抜いて、部屋へと戻る。
ここ数日、郵便受けの所でずっと感じていた気配が、小さく身動いだ。
- 37 名前:本当にあった怖い名無し :2006/04/20(木) 18:58:21 ID:mfStRfO/0
- 小さな花を、妹からの葉書と一緒に写真立てに入れた。
泥だらけの屋久島の緑の前で、小さな花が、ひっそりと主張をした。
いざペンを取ってみると、すらすらと文字が生まれてくる。
面と向かっては話しにくいことも、文章にすると、どうにかなるものだ。
思ったよりも長くなってしまったそれを封筒に入れる。
直接に受け渡せば済むが、少し迷った後、切手を貼ることにした。
郵便として届く方が、ずっと嬉しいし、ずっと楽しい。そう思ったから。
宛先の名前は、少しだけ気取って書いてみた。
住所はしっかり書いてあるから、ちゃんと配送されるはずだ。
──宛先は、素直じゃないキミに
──差出人は、素直になれないボクより
実際に書いてみると、予想以上に気恥ずかしい。
しかし、受け取った彼女も恥ずかしがることを予想して、そのまま決行。
最後に、二人分の名前を書いた新しいネームプレートを入れた。
三日後、郵便受けに、二人分の名前が書かれた、新しい名札が入っていた。
それと一緒に、大きさがバラバラの、この前よりも少し長い手紙。
紙 と へ゜ ン よ こ せ
──次の手紙が待ち遠しくなって、急いで部屋に取りに帰った。