ごめんね、お兄
- 958 名前:本当にあった怖い名無し :2006/04/19(水) 00:05:28 ID:B34erNJo0
- 映画館の前で、ふたりの男女が言い争っている。
言い争い、というより、女のほうが一方的に激昂している様子だった。
「やっぱり、私、だめみたい。耐えられない」
「そうか」
「…ほかに言うことはないの?」
――あんたなんかに話すことなんかないってさ。この自意識過剰女!
「…デートにまでついてきてなんなの化け物!非常識にもほどがあるわ!」
――うわーこいつばかーw 幽霊に常識語ろうって?ばかにもほどがあるw
「この…っ!いままで我慢してきたけど」
「別れよう」
男のその言葉に、女は驚いたようだった。常に受身の態度を貫いてきた彼が
自分から意志を伝えるのは珍しいことだったからだ。
「は、そう。いい考えね、そうしましょうか。せいぜいふたり仲良くね!」
女はヒールの音に怒気を孕ませ、去っていく。
――ばーかばーか!あんた程度の女がお兄に釣り合うわけないでしょ!
一度。女は凄まじい形相で男のほうを睨み、あとは振り向きもしなかった。
取り残された男の表情に落胆の色はうかがえない。こうなることを、彼は
予想していた。
――ねえお兄。もう一本観てこうよ。アクションのほう!
「ああ」
なにごともなかったかのように、彼は出てきたばかりの映画館に足をむけた。
彼は無口でおとなしく、扱いやすい男に見える。じっさい女にとっては
その通りで、よく積極的な女につかまってしまう。彼は交際を申し込まれて
断ることをしなかった。そして、例外なく同じ理由で別れていた。
妹の霊が憑いていること。
- 959 名前:本当にあった怖い名無し :2006/04/19(水) 00:07:22 ID:B34erNJo0
- そしてまた。
おなじ理由で、今度は泣かれた。
高校の後輩で、付き合ってひと月だった。
「う、あ、あたし、せ、先輩のこと、す、好き、だけど…けど…」
それは彼にもよく伝わっていた。
よく持ったほうだと思う。数限りない皮肉・罵声を浴びせられ、それでも
笑顔を絶やさなかった。今までは。
たぶん、これだけ自分のことを想ってくれる女性はもう現れないだろう。
そう評価していた。
――あーあー、泣けばいいと思ってんの?どこの小学生だよおまえw
「だ…って。な、なにも、わ、わるいこと、し、してないのに…っ!」
――悪いことしてないのに死ぬやつだっているよ。悪いことしてなけりゃ
悪いことが起こらないとでも? 甘いよばーか!
「あ、あなたさえい、いなかったら…!」
――やっと本音でた。ひとつ言っとくけど、あんたの愛想笑い、キモイよw
「う…ひどい。先輩?、なんとか、ならないんですか、これ」
――いきなりこれ扱いね。わかりやすくていいよね、お兄?
「別れよう」
即答だった。
「ど、どうして!?おかしいよこんなの!ほんとは先輩だって…」
――先輩だって、なに
茶化した口調が一変し、鋭い険をもって割り込む。
「――オレの妹は」
ふたりを制するように、彼は重々しく口を開いた。
- 960 名前:本当にあった怖い名無し :2006/04/19(水) 00:08:23 ID:QWjlFwSX0
- 「ギャンブル狂の親父に代わって生活費を稼いでいた。小学生のころからだ。
オレの新聞配達のバイトの数倍の稼ぎ、と言えばなにをやらされていたか、
想像がつくだろう。オレは――それを知っていた。知っていて、止められ
なかった。食うのに困らない生活をするためには、その金がなければやって
いけないと、耳を塞いだんだ。
高校の入学式の日、妹は行方不明になった。親父は出入りしていたチンピラに
はした金で身柄を売った。一週間後、妹は死体で発見された。なにが
あったのか、オレは知らないし、もう訊くつもりもない。
オレは、妹になにもしてやれなかったし、妹のおかげで生きてこれた。
だから今度は、妹のために生きていく。間違っていると言われても。
――付き合うことになったときの条件を覚えているか」
ぐ、と後輩の彼女は喉を鳴らした。
「…い、妹さんの…存在を…否定しないこと……」
「そう。それだけだ。オレ自身よりも大事な存在を否定しないこと」
「…………」
「さよなら」
なにもいえず、彼女は立ち尽くした。彼がいなくなってもしばらく、動く
ことができなかった。
- 961 名前:本当にあった怖い名無し :2006/04/19(水) 00:09:04 ID:QWjlFwSX0
帰り道。ふわふわと男の頭上を漂う姿があった。
――けっこう持ったね、今回。
「そうだな」
妹が二人でいるとき、女の話をしだすのは、口ほど彼女を嫌ってはいない
証だった。あるいは、兄にとって悪い女ではなかったときか、どちらか。
多少の自責の念がそうさせるのだろう。
――ごめんね、お兄。
「なんだ、珍しいな…」
――次は、さ。
「うん」
――う、ううん。やっぱ約束できないや。
「なんだよ」
――なんでもない。
大好きだから。もう少しだけ。ごめんね、お兄――