デレ不足
- 909 名前:本当にあった怖い名無し :2006/04/17(月) 16:30:06 ID:e97AYc9Y0
- 眩暈がひどい。
今まで経験したことのない症状だった。
これはおまえのせいかと、虚空に目を向ける。
『……なによ』
きつい目をした それ に、私は睨まれた。
私にしか見えない、ヒトではない それ。
「いや、べつに」
額を押さえ目を閉じると、眼球が膨らんでいるような違和感がある。
疲れているのだと思い込もうとした。もし、それ に私をどうにかしよう
という気があるのなら、対処のしようがない。
いつのまにか、私は それ の存在を認めていた。
はじめは、自分の頭を疑った。そんなモノがいるはずはないから。
ずっと見えてはいた。声も聞こえていた。それでも、幻覚と思っていた。
だが、現実に干渉された痕跡を無視することはできなかった。
勝手に電源の点く電化製品。
触ってもいないのに動き出す食器。
いつのまにか身体に付く原因不明の痕。
原因不明の。
それ がいないとすればの話だ。
私は それ がTVを点けるのを見ていたし、皿を割るのを見ていたし、
寝床で私の身体にまとわりついてくる感触も覚えていた。
認めざるを得ない。
でもまだ現実から逃避するつもりもない。仕事もある。周囲の目もある。
別居中だが一応家庭もある。狂うわけにはいかなかった。
四六時中 それ に怯えながら、微妙な――とても不安定なバランスで精神
を平衡に保ってきた。
- 910 名前:本当にあった怖い名無し :2006/04/17(月) 16:32:40 ID:e97AYc9Y0
- 半年前。
下の娘の誕生日前夜、私はファンシーショップに立ち寄り、着せ替え人形
を購入した。妻が会わせてくれるかどうか微妙だったが、用意しておいて
悪いことはないだろうと思っていた。
マズいことをした。
家――は追い出されたのでアパート――に帰った瞬間、そう直感した。
もの凄い視線を感じた。
「やあ、…ただいま……」
声をかけるのは気味悪さ、不安をごまかすためだ。
反応があるときもある。少しばかりのコミュニケーションができることは
救いだった。まったく理解のできないモノほど怖いモノはない。
それ はすうっと右手を上げ、私が小脇に抱えた包装済みの箱を指差した。
『……なに?』
やはりこれか、と思った。
自分の身の上は話そうとしないので、なにが気に障るかわからない。
「あ、ああ、娘の誕生日プレゼントだよ」
『ふうん…娘の、ね……』
眉根にしわが寄るのがわかった。なまじ綺麗な顔をしているだけに怖い。
「わ、渡せるかどうか、わからないけど」
『知らないわよ、そんなこと』
「あ、そ、そうだよな。それで、どうしたんだ?」
『なにが』
「いや、その…気にしてるみたいだから…これ」
『は…?バカじゃないのアンタ』
- 911 名前:本当にあった怖い名無し :2006/04/17(月) 16:33:57 ID:e97AYc9Y0
- 「う…ご、ごめん」
『だれが謝れって言ったのよ?ああバカですいませんってこと?それなら
世界中に謝ってきたほうがいいわよ、いますぐ』
「う…ごめん」
『…………』
結局、怒っている理由は聞き出せなかった。だけど確実に機嫌を損ねた。
ガスは止められる、TVは消される、文庫本はページをめくらせても
くれない、電気も消された。
もう寝るしかなかった。
『…………ゅよ』
(…………?)
翌朝、物音で目が覚めた。
それ がなにやらぶつぶつと呟いている。
『はい、ここがアナタのお部屋でちゅよ〜?あ、おクツは脱ぎましょね』
仰天した。
同時に笑いを噛み殺した。
それ は娘へのプレゼントを開け、お人形遊びに夢中だった。
『ん〜?この赤いのがいいんでちゅか〜?』
「ぶふっ」
『!』
マズい、思わず口の中の空気が漏れた。
それ は後ろ手に人形を隠した、つもりなのだろう。でも透けて見えてる。
- 912 名前:本当にあった怖い名無し :2006/04/17(月) 16:35:07 ID:e97AYc9Y0
「…………」
『…………』
「…………」
『……ぉはょぅ』
「…zzz……」
『…気のせいか……』
それ は再び人形遊びに没頭する。
そういえば、この部屋はずいぶん長い間空室だったと聞いている。
そのあいだ、殺風景なここで、ひとりきりで、それ ――彼女は。
私はそっと目覚ましのスイッチを切り、寝直すことにした。
その日、初めて遅刻というものを経験した。
でも良かったと思えた。
不器用に包み直されたプレゼントがとても微笑ましかったから。
その夜、娘には会えなかったことを彼女に告げた。
プレゼントがムダになったからあげる、と伝えてみた。
『いらないわよそんなの。来年あげたら?』
……だそうだ。捨てろとは言わないんだなあ。
それ以来、以前のように怯えることはなくなった。機嫌の悪いときは
やつあたりされるが、とりあえずは殺されるような目には遭っていない。
不可思議な存在には違いないので、安心はしていないけど。
- 913 名前:本当にあった怖い名無し :2006/04/17(月) 16:36:14 ID:e97AYc9Y0
- 「なんか、くらくらするんだ。手に力が入らない」
『ふうん…それが私のせいだと?』
「い、いやちがうけど。こんなの初めてだし」
『……そうよ』
「え?」
『すぐお医者にかからないと死んじゃうかもね。私の呪いは強烈だし』
「な…なんで…?」
『アンタほんとバカね。理由? なんでここが空室だったか考えたこと
ある? 理由がないからよ』
「うそだ。君はそんなことはしない」
『…アンタになにがわかるのバカのくせに』
「うそだ!」
私は彼女の肩に手をかけようとして――当然すり抜けた。
脚にも力が入らず、ぶざまに顔面を床に強打した。
『ちょっと、そんなに興奮したら…』
(うそだ……)
『ちょっと? ねえ? ど、どうしよう……?』
(君は…そんなことは……)
気づいたときには病院にいた。
生まれて初めて救急車に乗ったらしいのだが、残念ながら覚えていない。
誰が連絡したのか気になったが、それ以上に自分の容態が気がかりだ。
もし、彼女のしわざなら
――原因は不明です。
どうしようもないだろう。
私は触診、レントゲンを受け、医師の宣告を待った。
でっぷりと太った先生が頭を掻きながらこちらに向き直る。
ひときわ大きく、心臓の鼓動を感じた。
- 914 名前:本当にあった怖い名無し :2006/04/17(月) 16:37:24 ID:e97AYc9Y0
「――単なるデレ不足ですね。心配することはないですよ」
「……は?」
「デレ不足。人はツンのみにて生くるにあらず。よくいわれるでしょう」
「いや、聞いたことありませんね」
なにを言い出すのだこのデブは。
わからないのならそう言ってくれた方がいいのに。
「最近、デレを補充してないでしょう?」
「それは、まあ……」
妻は常時臨戦態勢を解こうとしないほどの激ツンだし、アパートのあれ
は基本無愛想だ。ああ、確かにデレがなつかしいな……
「ってちがう!なんなんですかそれ!ごまかさないでください!」
「…とみなさん仰るのですけどね。実際補充してみればわかりますよ。
当店のデレ要員は優秀ですから一発で治りますよ」
「デレ要員?当店ってなに?」
「お客様のご趣味に応じてロリ・ショタ・熟・ガテン・クール・制服・
メイド・眼鏡・獣まで24時間注文受付しております」
「く…っ、め、眼鏡だと…!?」
うそだとしても騙されたい。私は本気でそう思った。
その反応をデブは見逃さない。
「ええ、最近は縁なしが人気ですね。いかがですか?」
フチなし!ヤバい、陥落寸前だ!
「ちいぃ…っ、ほ、保険は…?」
「ききません」
- 915 名前:本当にあった怖い名無し :2006/04/17(月) 16:39:01 ID:e97AYc9Y0
- 私は瞬間接着剤のように張り付いた未練を強引にひっぺがし、イカサマ
医師から逃げ出した。
なぜかはわからないが、身体はいくぶん動くようになっていた。
ほらみろ、デレ分なんか補充してないのに。それともどこかでデレに
あったか? ……いや、あの話は根本からうそだ。なにを信じようと
しているんだ私は。
「……ただいま。ヒドい目に遭ったよ」
『どうだった』
珍しく、この手の愚痴に彼女が反応する。自分の呪いだからか?
「はは、デレ不足だってさ。いやあ、どうしようね?」
私は会話の繋ぎになればと、信じてもいない話をし始めた。
いつ怒りだすかと心配しながら、だったんだけど。
『……それで、具体的にどうすればいいわけ?』
「ふざけた話だよ…って、え?」
なんだ? 初めて見る表情。怒ってるのと似てるけど……
『アンタ、バカだから笑ってるけどね。毎日仕事で出歩くんでしょ?』
「う、うん」
『今日は家にいたから良かったわよ? でも外で倒れたらどうするの?
アスファルトに頭ぶつけて平気だと思う? クルマがきてたら?』
「あ、ああ、そうだね……ラッキーだったんだな」
あれ、なんだろう。どんどん身体の調子が良くなっていくような…?
- 916 名前:本当にあった怖い名無し :2006/04/17(月) 16:40:08 ID:e97AYc9Y0
- 『わかったの!?』
「うん、ありがとう」
『ば…っ!!』
瞬間、耳まで真っ赤になる彼女。ヤバい。
『ち、ちが…っ! こ、この部屋で死んでもらわないと、私が呪い
殺した証が立たないじゃない!? …か、勘違いしないで?』
(か、勘違いしないでキタ━―━―━―(゚∀゚)━―━―━―!! )
すごい怒ってる顔。でもヤバい。かわいい。
『な、なんの話だっけ。そ、そう、どうすればいいのかって話よ!』
もうあの医師がイカサマでもどうでもよくなった。
この話がうそでも、あとでほんとうに呪い殺されてもかまわない。
私は思わず緩む頬を引き締め、精一杯マジメな表情を作って言った。
「――とりあえずこの眼鏡をかけてみてほしい」