陶芸職人
- 847 名前:本当にあった怖い名無し :2006/04/15(土) 17:27:26 ID:hj3/zHY70
- 初めて来た。
>>846
どこまでやれるかわからないがやってみます。
蟹江権三58歳、独身。
陶芸家。
異変が始まった時、彼はいつものように仕事場である工房に篭っていた。
窯から出した磁器は未だ仄かな熱を宿していて、それが生まれたての存在である事をいつも思い起こさせる。
「はあー…」
溜息ひとつ分の生きる時間を与え、蟹江は生まれたばかりのそれらを叩き割る。
――がっしゃん、がちゃん。
景気のいい音とともに破片が散らばり、焼きたての磁器の死骸は工房の床を埋め尽くす。
「…は、」
新たな溜息と共に、机の上の失敗作を掴もうとした手が空を切る。
「ああ…?」
――がしゃん。
終わりの見えぬ試行錯誤の憤懣をぶつけるべき、皿の一枚が……突如宙へと飛び出し、自殺を遂げた。
「……」
蟹江は太い眉を上げかけたが、やがて立てつけの悪い机に目をやり、ゆっくりと表情を元に戻す。
(――たまたま、か。
しかし…マシな作品(もん)まで割っちまうわけにはいかねえ。
いい加減、この机も直すか新しいのを買わ…)
――がしゃん。
見つめる蟹江の眼前で、また新たな一枚が机の上から飛び上がり、床の上で粉々に砕けた。
「……」
蟹江の眉が上がる。
- 848 名前:本当にあった怖い名無し :2006/04/15(土) 17:28:31 ID:hj3/zHY70
それからしばらく、その怪現象は続いた。
蟹江が窯の扉を開け、傍目には素晴らしい出来の磁器を取り出す。
しかし、その太い眉がぐっとしかめられると――
机の上に並べられた磁器達は一斉に宙へと飛び出し、床の上で大量不審死を遂げる。
不機嫌な面をぐっとさし向ける蟹江の眉は、床の上に気持ちよく散らばった残骸を認めると……ほんの僅かに、緩むのだった。
蟹江が土をこねている間も、たまにその破壊現象は発生する。
――がっしゃん、がちゃん。
黙々とろくろを回す蟹江の前方で、棚に並べられた磁器が片っ端から飛び出してゆく。
(あれは先週の、あれは一昨日の、あれは…ああ、半年前のか)
その棚に収められているのはいずれも蟹江が『己の作品』と認めた磁器達であったが、同時に、決して工房の外へ出される事のない作品でもあった。
なまじ出来がいいだけに己の手で処分することのできなかったそれらを、妄執ごとあっさり叩き割ってくれる何者かを、蟹江は内心で歓迎してもいた。
自分の作品を勝手に叩き割るという暴挙を見過ごすことなど、蟹江の性格からすれば考えられなかった。
ろくろに集中するふりを続けながら、棚の中の作品が次々と割られていく様を看取り続ける蟹江。
――カタ。
一枚の皿が動き始めた時、その眉がぴくりと跳ね上がる。
(……)
ろくろに滑らせていた手が止まり、目の前の壷もどきに奇妙な紋様が刻まれてゆく。
しばしの沈黙の後。
宙に浮かびかけていた皿は棚へ戻され、その隣にあった皿が棚から飛び出し、派手に砕けた。
「……」
仏頂面で淡々と土をこね直す蟹江の眉が、また僅かに緩んだ。
- 849 名前:本当にあった怖い名無し :2006/04/15(土) 17:29:10 ID:hj3/zHY70
ある日、工房を強い地震が襲った。
机の下から蟹江が這い出してくると、多くの作品が投身自殺を遂げた工房は、
いつにもまして残骸まみれであり、彼は空っぽな作品置き場を見渡して溜息をついた。
そういえばあの皿は…と考えた瞬間、背後からカタカタ――と音がして、蟹江は振り返った。
棚の上にはもう数枚の磁器しか残されておらず、その中で蟹江が割ることを拒絶していたあの皿が、
半分以上棚から乗り出していた。
ぐらり、と傾ぐ。
「あ……!」
蟹江が絶叫しかけたその瞬間、皿は見えない何かに押されたように、棚の奥へと引っ込んだ。
ほっ、と胸を撫で下ろした蟹江は、ぎこちない笑みを浮かべ、虚空を見回した。
「ありが…」
似合わぬ礼を口にしかけたその瞬間、工房中で、その皿以外の無事だったすべての磁器が空中に飛び出し、床で砕け散った。
破片となって散らばったモノの中には、商品として引取りの決まっているものや、
気に入って手放したくないものや、そしてどうしても処分することのできなかった作品などが含まれていた。
(っ……)
蟹江の顔が一瞬で真っ赤に染まり、そして――
「ふ。うわははははははっ!」
豪快に笑い出した。
数年後。蟹江の皿はショーケースに収められ、蟹江の生涯を遥かに超える年月の間、
多くの審美眼からその価値を認められることとなった。
(終)