自殺志願者
- 829 名前:どん兵衛 1/6 :2006/04/14(金) 09:51:28 ID:Zi36NnWW0
- 僕は自殺志願者だ。
彼女に騙されて、多額の借金を負わされ、彼女は逃亡。毎日のようにしつこく鳴らされる電話のベル。激しくドアを叩く煩い取り立て。
こんなのが二ヶ月も続くと、流石に嫌になってくる。
もう二ヶ月も我慢したんだ、もう、いいよな。
こんな世界とおさらばしたって、別に誰も悲しみやしない。母さんや父さんには悪いが、僕は先に逝くよ。
廃ビルの屋上から眺める星空は、嫌味なくらい綺麗だった。こんな最高の場所が、自殺多発現場だなんて、思えない。
五年くらい前だろうか、ここから飛び降りがあった。ニュースで見たのだが、飛び降りたのは女性だという。六階建ての屋上から落ちれば、そりゃ即死だっただろう。
そんなニュースがあってから、ここからは飛び降り自殺が多くなった。一部では、あのビルは幽霊ビルだ。入っていった奴は、何も無くても必ず飛び降りる、など言われていたが、実際の所今まで自殺して逝ったもの達が、本当に幽霊に惑わされて逝ったのかなど、
誰もわかるわけがない。それに、僕もそれを確かめに来たわけじゃないし、
そう言う噂があるからここを選んだわけではない。
なんとなく、ここなら誰にも見られることはないし、一人になれるし、星が掴めそうな気がしたからだ。 ―――この歳で何を言ってるんだか。
馬鹿みたいな考えを掻き消して、僕は鉄柵を越えて、縁に立つ。下を見れば、街灯の明かり。人気は少ない。今飛び降りれば、人にぶち当たることもないだろうし、交通の邪魔にもならないだろう。さて、そろそろこの世とおさらばしようか。
思い残すことは無いし、死へ対する恐怖もない。むしろ気分が良い。それに空も綺麗だし、自殺するには絶好の日を選んだかもしれない。こう言うのだけは、運がいいな。
僕は自嘲気味に笑う。そして、空へ飛び出そうと力んだ時、
「ちょっと待ちなさいよ!!」
と言う女の声が背後から聞こえてきて、僕は踏みとどまった。
- 830 名前:どん兵衛 2/6 :2006/04/14(金) 09:52:19 ID:Zi36NnWW0
- ゆっくりと振り返ると、そこにはスーツ姿の女性が立っていた。だが、なんとなくその女性に違和感を感じる。
「貴方もここで自殺する気!?やめてよね、私が死んでから皆ここで飛び降りたがって…しかも何?幽霊に惑わされた〜とか言う噂もあるんでしょ?全く、誰が誑かすかっつーの、馬鹿みたい」
「あの…」
「あのねぇ!こっちは自殺志願者が多いから迷惑してんのよ!幽霊幽霊って人を世にも恐ろしいもの扱いして!だから、貴方も死ぬんだったら他のところでやってよね!」
彼女の発言で、彼女が幽霊だという事はわかったし、なんとなく顔がニュースで見たあの女性に似ているから、五年前にここから飛び降りたのは彼女だと言うことも、わかった。だが、彼女が幽霊だからと言って、恐怖が生まれるわけでもなかった。恐らくこれは、
僕の精神が破綻してしまっているからだろう。
彼女は怒りを露にしながらずんずんと近付いてきて、腕を引っ張って、とりゃあ!と言う威勢のいい掛け声と共に、僕の身体を鉄柵の向こう――つまり、本来立っているべき場所に戻した。
「あ、あの…」
「何よ」
「僕は自殺しに来たんです。止めないで下さい」
「だから迷惑だって言ってるでしょう!?判りなさいよ、このタコ頭!!」
そう言って頭を殴られた。人が折角決意して来たっていうのに、自殺を止められて、あまつさへ殴られるなんて。酷すぎる。
「なッ、何するんだ!」
「貴方が分からず屋だから殴ったんじゃない!それとももう一発イく!?」
「やれるもんならやってみろよ!人の自殺止めておいて、殴って、僕だって気が長い方じゃないんだ、いい加減にしないと―――ぐはッ」
まだ喋っている途中だというのに、彼女は見事な正拳突きを繰り出して、僕の顔面にヒットさせる。なんなんだ、この破壊力は。痛すぎる。
いい加減堪忍袋の緒が切れた僕も、構わずパンチを繰り出す。しかし、幽霊だということを忘れていた。当たるわけが無い。
「残念でした〜」
彼女はこりゃ愉快、とにやぁ、と笑みを浮かべる。その笑みがむかついて、当たらないのはわかっているけれども、僕は何度もパンチとキックを繰り出した。
- 831 名前:どん兵衛 3/6 :2006/04/14(金) 09:52:56 ID:Zi36NnWW0
- そうして何分経ったか判らないが、気付けば僕は大の字に仰向けに寝転がって、息を整えながら星空を眺めていた。
「もう終わり?歳ね」
「うるせッ…黙っててくれ、はぁ…」
彼女はにやにやと笑う。あちこちに動き回ったというのに、彼女は息一つ乱れていない。それが妙にムカついたが、これ以上動くと本当にあっちの世界に逝ってしまいそうで、動けなかった。
「ねぇ」
「…何」
「なんで、自殺しようと思ったの?」
彼女は、表情を含まない声色で問うて来た。限りなく悲しみに近い、しかし、感情のない声。
僕は理由を言おうと思ったが、躊躇した。
今考えれば、くだらない理由だ。彼女に騙されて借金を掴まされた。毎日のように来る取立ての電話、取立てに来たと思われる人間の鳴らすチャイム。それだけなのに、それも、二ヶ月と言う短い間だというのに、
僕は自分で解決しようとせず、ただ死ぬことだけを望んだ。
彼女がもし本当に、五年前ここで自殺した女性だとしたら。もし、僕よりも深い悩みを持っての自殺だとしたら。
自分が、弱くて、小さな人間だと言うことを自覚させられるような気がして、それで、口を噤んだ。
「私はね」
僕が言葉を発さないままでいると、彼女は僕の隣に腰を下ろして膝を抱えて、星空を眺めつつ、口を開く。
「私が自殺したのは、彼に…フラれたからなの」
「…え?」
「くだらないでしょ?でも…彼のことを愛してた。結婚しよう、とまで言われたの。だけど…」
彼女は言い難そうに言葉を切った。
言っちゃ悪いが、もし彼にフラれただけのことなら、僕の方が重い。大事にしていた彼女にフラれた挙句、多額の借金を置き土産にされたのだから。
しかし、彼女が言い憎そうに、だが強く言った言葉に、僕は驚いた。
「…逃げられた。最後に、借金掴まされて…でも、挙句、彼は死んだわ。私の他に付き合ってた女とのドライヴ中にね、事故で」
最後に、取り立て酷かったわ〜と付け足した彼女が浮かべた笑顔は、上辺だけにしか見えなくて、その笑顔の先に、深い悲しみが見えた気がした。
- 832 名前:どん兵衛 4/6 :2006/04/14(金) 09:55:58 ID:Zi36NnWW0
- 「清々した、とは思わなかったのか?」
気付けば、口が勝手にそう吐き出していた。
「清々?うーん…まぁ確かに最初はね。借金背負わせて、彼女とドライヴで、これから楽しい人生が待っていただろうに、死んじゃうなんてね、って。でも、気付いたら泣いてた。どれだけ泣いても涙が止まらなかった。なんでだろう。あんな奴死ねばいいって思ってたのに
…いつのまにか、このビルに来てて…」
泣きたいのを堪えるかのように、彼女は俯く。やっと息の整った僕は上体を起こして、顔を覗き込んだ。
「泣きたいんなら、泣けばいいじゃないか」
「な、泣きたいわけないでしょ!?ふざけたこと言わないで!」
大声でそう言って顔を上げた彼女の目からは、今大声をあげたことで感情の糸が切れたのか、雫が一つ、滑り落ちた。だが、彼女はそれに気付いた様子はない。
「…でも泣いてるぞ?」
「そんなわけ…」
「残念ながら、僕は拭ってやることが出来ないんだ。自分で触ってごらん」
言われるがまま、彼女は自分の頬を撫でて、驚いた顔をした。
「な?」
「違う、これは…」
「違わないだろう?僕も、似たような理由で自殺しようとした。彼女は死んでないけど。もし…もしも君がその彼のことと、自分が自殺したことが理由でここに出てきているなら、僕が相談に乗る。それで君が成仏して、新しい人生歩んでくれるのだとしたら…」
「それは私の役目なの!」
涙を拭って、強く言う。
何のことか判らなかった。それが役目?どう言うことだ?相談に乗ることがか?だとしたら誰の。まさか自殺しようとしていた僕一人の為だけに出てきたのなら、それこそ成仏させてあげなければ、苦しいままだ。
そう思って、僕は言葉を吐こうとしたのだが、それよりも早く彼女が言葉を口にしていた。
- 833 名前:どん兵衛 5/6 :2006/04/14(金) 09:57:51 ID:Zi36NnWW0
- 「勘違いしないでよね!別にあんたの為に出てきたわけじゃないの。私は、自殺する奴を止めたいの。死んでから…この身体になってから、実家に行ったのよ。どうやら地縛霊ではないみたいだか、
少しは動けるからね。そうしたら、お父さんもお母さんも後悔して泣いてた。
なんで相談に乗ってやらなかったんだ、って。
少しでも変化に気付いてやれなかったんだって。自殺してからはじめて判った。大事にされてたんだって。
自殺を考えてる人間は、自分のことしか見えなくなるわ。私もそうだった。誰も悲しんじゃくれない、誰も大切になんて思っていてくれない。そう悲観的になる。
でも、でもそうじゃない。ちゃんと大事に思ってくれてる人は居る。それに、自殺しないで生きていたらいいことがあるかもしれない。また彼氏が出来るかもしれない。法的措置を取れば、
掴まされた借金だってどうにかなるかもしれない。
悩みの重さは人それぞれよ。それくらい判ってる。でもだからこそ…簡単に死を選ばないでと、貴方が死ねば悲しむ人はいるんだと、それを伝えて、そして、自殺する人を止めたいのよ。
綺麗事、偽善、自己満足だって自覚はしてるわ。だけど…私みたいに死んでから苦しい思い、させたくないの」
彼女の瞳から、また一粒雫が零れ落ちた。それは死んでいる人間の者とは思えないほど綺麗で、悲しみを持っていて、想いが伝わってきた。
触れられないことくらい常識だ。判ってる。だけど僕は何も言葉に現せられなくて、彼女を抱き締めた。だが、それは自分で自分を抱き締める結果となった。
「何…よ」
「苦しそうだったもんで」
「私は幽霊よ?判るでしょ、何を言いたいか」
「あぁ。でも、僕は頭がいい方じゃない。なんていう慰めを掛けてやればいいか判らなかった。だから、取り敢えず抱き締めてみることにしたんだが…駄目だったか」
残念極まりなく腕を解いて言うと、彼女はクスクスと笑って、今度は彼女が僕を抱き締めた。背中に伝わる冷たい感触の中に、暖かさを感じたのは、きっと気の所為ではないと思う。
僕も自殺しようと決めた理由を言おうかと、聞きたい?と問うたのだが、もういいわ、諦めてくれたみたいだし、と満足そうに笑んで言った。
本当に諦めたと思っているのか?一度は自殺を志願した者だ。そうそう簡単に諦める筈がないだろう。
- 834 名前:どん兵衛 6/6 :2006/04/14(金) 09:58:37 ID:Zi36NnWW0
- 思ったものの、口には出さなかった。あのパンチを食らうのは、もうごめんだから。
彼女は腕を解いて星空を見上げた。僕はそっと立ち上がって、鉄柵の近くに足を運ぶ。
「あぁ、君、名前は?」
鉄柵に手を掛けて背中越しに聞くと、
「雪原の雪に、野菜の菜で、ユキナ」
と返って来た。
「そう、雪菜か…」
「あんたも教えなさいよ」
知る必要はないと言うのに。僕はまだ諦めてはいないのだから。
「僕?僕は…君に教える必要はないかな。教えたところで、僕は―――」
星空が綺麗だった。綺麗な星空を見上げつつ、僕は言葉を切って、鉄柵を越えた。
僕は今日もあのビルに向かっていた。生身かどうかって?勿論生身だ。正真正銘、普通の人間だ。
昨日は冗談で鉄柵を越えたら、雪菜に首根っこ掴まれて投げ飛ばされて、その後に二時間以上説教を喰らった。説教を終えたあとに、まるで格闘家のような強烈なパンチをお見舞いされて
――今でもまだ、頬が赤く膨れ上がっている。
もう自殺する気はない。危ない取り立て野郎とも、戦っていこうと思っている。これも全て、彼女のお陰だ。彼女の言葉が、想いが、僕を変えてくれた。本当に、感謝している。
昨日の今日だが、まだ彼女は居てくれているだろうか。消えていたりはしないだろうか。怒っては居ないだろうか。
砂埃を被った階段を上っていき、僕は屋上へ続く扉のノブに手を掛けた。
いないような気がする。なんとなく、だが。昨日のあれは、あれで終わりで、僕の前にはもう現れないんではないだろうか、と不安に思った。しかし、確かめて見ないことには判らない。
僕は誰にでもなく頷くと、ノブをゆっくりをまわして、錆びついた扉を、開けた。
- 835 名前:どん兵衛 スマン7だった! :2006/04/14(金) 09:59:17 ID:Zi36NnWW0
- 其処には―――。
「………雪菜……」
嬉しそうに満面の笑みを浮かべた、彼女が居た。
良かった、居てくれたとほっとして安堵の笑みを浮かべると、彼女は近付いてきて、笑顔と共にパンチを繰り出してきた。
「…遅い」
「すいません」
廃ビルの屋上から眺める星空は、嫌味なくらい綺麗だった。こんな最高の場所が、自殺多発現場だなんて、思えない。
そんなビルの屋上に、僕は再び立つ。自殺すると言う理由からではない。
彼女と、笑いあうためだ。