兄さまへ

665 名前:3−1 :2006/04/09(日) 18:05:31 ID:JJPwprGP0
都会の学校も少子化が進み、一クラスの生徒の数は随分と減った。
私は危惧されていた、過疎地の分校へ転任を願い出た。

過疎地では逆に教員が足らず、遠くの学校へ行かねばならない生徒もいると
聞いたからだ。
教育は誰もが平等に受けられる恩恵であり、子供の主張できる数少ない権利だ。
こんな考えも今はもう古く、私は正直若い教員の間で勤めるのに疲れたのもあった。

山間の分校。生徒は片手で足りた。
村役場は来年は統合され町になる。そんな寒村に私は来た。
だが・・・純朴でまっすぐな瞳の生徒たちの歓迎は私を熱くした。
残り少ない教員生活。ここで終わるのに、なんの悔いがあろうか。

「せんせーっさようならーっ」
「はい。さようなら。気をつけてお帰り」
「せんせーっ明日も遊んでねーっ」
「はい。遊びましょう」

三々五々帰っていく生徒たち。全員ときちんと挨拶ができる。満ち足りた職場だった。
足るを知る。今の時代は私のようなロートルにはありがたいような職場だった。

生徒たちが帰った教室。平屋の校舎、木造の校内を見て回る。
来年の統合で取り壊されるかも知れない。村長から聞かされていた。
学び舎として十分な建物なのに。

666 名前:3−2 :2006/04/09(日) 18:06:04 ID:JJPwprGP0
今は使われていない教室に、小さな影を見つけた。

「おや・・・?」

並べられた使われていない机に座る幼子。この学校では学年別では
成り立たないので、みんな一クラスで授業を行っている。別のクラスはない。
何より、生徒全員の顔は私の頭に入っている。
来年入学する子だろうか?

「どうしました?」
「・・・・っ」

話しかけると、びっくりしたようにこちらを見つめた。誰かの妹だろう。

「ここは誰も使っていない教室です。あちらに行きましょう」
「・・・いきたくない」

おかっぱ頭の少女はふいと横を向いた。今時は珍しい着物姿だ。
どちらの子だろう。拗ねたような顔が赤く色づいていた。

「ふむぅ・・困りましたねー。どうすればいってくれますか?」
「・・・・・・」
「はい?」
「・・・字を教えて」



667 名前:3−3 :2006/04/09(日) 18:06:36 ID:JJPwprGP0
「字・・・ですか。いいでしょう。あいうえおですね」

こういってはなんだが、この地では兼業農家も多い。たつきのため
子供にかける時間が取れない家庭も多かった。
私に親を責めるつもりはない。だが子供が学びたいというなら、教えない訳はない。
私は教師なのだ。

「そうです。うまくかけました」
「・・・・・」

うつむいたまま、頬を染め黙り込む少女。あいうえおと書かれたノートを辿る指が
誇らしげだ。何度も何度も辿る。愛らしいものだ

「・・・兄さまに手紙を書きたい」

ぼそりという少女。
「いいですね。書きましょう」

「兄さまは戦争に行くの。お国のために戦うの」
聞いた事がある。この学び舎は戦前からあり、戦中は特別攻撃隊の宿舎であった
そうだ。なるほどそうか。

「それはとても立派なお兄さんですね。じゃあ先生は平仮名を教えてあげましょう」

私は教師。学びたい意志があるものを、教えることになんのためらいがあろうか。

668 名前:3−4 :2006/04/09(日) 18:21:11 ID:JJPwprGP0
幾日が過ぎたろう。放課後まではじっと教室の隅で待ち、
放課後に私と彼女の授業が続いた。
そして彼女は平仮名が書けるようになり、私の用意した便箋に
手紙をしたためた。

『にいさま。せんそうにいってもげんきでいてください。おくにのために
がんばってください。かずはまっています。にいさまがおやくめをおえるのを
まっています』

「書けましたか?封筒はこれですよ。先生は添削しません。いれてください」
「・・・・・・」

丁寧に畳まれた便箋を、そっと封筒に入れるかず。
この子のお兄さんもかの戦争で・・・。
そしておそらくこの子も。

「では私が投函します。お兄さんに届くといいですね」
「・・・・・・」
「はい。いいんですよ、かずさん」

聞こえないほどに小さなお礼。そして・・・彼女の後ろに見える青年。

「さようならかずさん。想いは届きます。お迎えが来ましたよ」

兄の手を取り、席を立つ私の生徒。いざ、さらば。