祠のミカド

324 名前:どん兵衛 1/11 :2006/03/30(木) 18:49:55 ID:T2UyjgM30
中学の夏休み、僕は両親と祖父の家に泊り掛けで遊びに来ていた。
久々に訪れたそこは、以前来た時と全く変わっておらず、家のすぐ裏の山は緑が生い茂っていて、門前と庭に植えられた花たちも、静かに吹く風に心地よさそうに揺られていた。
これから一週間、この清々しい環境の中で過ごすのかと思うと、心踊る気分だった。

両親、祖父と祖母の四人でお茶を飲みながら会話をする中、僕は一人暇になって彼らに何も言わず外へ遊びに出かけることにした。土地鑑があるというわけでもないから、そんなに遠くには行けない。でも田舎だから近くにゲームセンターがある様子もないし、
と何処へ行こうか色々考えた挙句、
小さい頃――確か五歳くらいだった筈――によく遊びに行っていた裏山に遊びに行くことにした。
家の裏に回って、山の中へと続く、細い長い道を目の前にして、今年で中学卒業だと言うのにも関わらず、まるで幼稚園児のような冒険心が湧き上がって来る。
僕はよぅし、と自分に意味もなく気合を入れて、久々に訪れた山へと足を進めていった。

325 名前:どん兵衛 2/11 :2006/03/30(木) 18:50:25 ID:T2UyjgM30
木々の間から差し込む陽の光を眺めつつ、楽しげに鳴く小鳥の声を聞きながら歩くこと数十分。歩きながら、僕は幼い日の記憶を呼び起こしていた。
――あの頃は小さかったというのもあり、必ず後ろに父がついて来ていた。あんまり先に行くなよーという心配そうな父の声を無視して、僕はただ只管に突っ走って、やがて開けた場所に出た。
後ろから追いかけてきた父に、先に行くなって行ってるだろーと息も絶え絶えに言われたのだが、僕はそれよりも目の前に突然現れた初めて見る物体に興味津々で、そんな父の声でさえ無視し、その物体を指差して何かと問うた。
「お…?あぁこれはなー祠って言って、神様とかを祀ってあるんだ。ここの神様はなぁ―――ってコラ祐!」
自慢気に口を開いた父の説明が、長そう、と、子供心に察知した僕は、父の言葉を遮るように祠に手をばして―――戸を壊した。
「あああああ!何してんだお前!」
壊すつもりは勿論なかった。でも、古くて今にも壊れてしまいそうだったんだから、仕方ない。
壊れたーと、僕は然して悪気もなさそうに父に言うと、父は酷く困り果てた様子で、
「…直さなくていいから、元の位置に置いておきなさい、帰るよ」
と言って、素直に壊れた戸を祠の中に置いた僕を抱き上げて山を下りて行った。その時、祠の中から白い靄のような物が出てきたのは、僕しかしらないのだと思う。
僕はその事を思い出して、白い靄のことは気になったが、とにかくその祠がある場所まで行って見る事にした。
オカルト物には強いと自分では思っているけど、実際お化けとかが出ないように祈りつつ。

326 名前:どん兵衛 3/11 :2006/03/30(木) 18:51:45 ID:T2UyjgM30
白い靄がなんだったのか、と、まだその場所はあるかどうかと不安になりながらも更に進んでいくと、いつかのあの日と同じ開けた場所に出た。その円状に開けた地の真ん中には、あの時から何ら変わった様子のない祠。
良かった、と安心して、僕は祠に近付く。戸はやはり直されていないようだった。
懐かしい気分に浸りながら、その戸を取ろうと手を伸ばしたとき、突然白い――あの時見たような靄が、祠から飛び出してきた。
「うわぁ!」
悲鳴をあげて、僕は飛び退く。すると靄は見る見るうちに形を作り上げていき、やがて真っ白な着物を着た、これまた白い長髪の女が現れた。
これが幽霊と言う奴か!と僕は咄嗟に両の掌を合わせて握った――がこれじゃ、神に祈りを捧げる修道女じゃないか。違う、えーと…。
「そうだ!南無阿弥陀仏!」
思い出したように僕がそう紡ぐと、女は呆れたように溜息を吐いた。
「何やってんの?アンタ。十年振りだってのに、いきなりお経?」
「じゅ、十年ぶり?…え?」
訳が判らず問い返すと、彼女は先程よりも深い溜息を吐いて、頭を抱えた。
「覚えてないの?まぁ…ガキんちょの頃だったから仕方ないと思うけど…」
「いや、だからあの…何が?」
「十年前の夏の日、アンタ父親と一緒に此処に来て、あたしの家ぶっ壊して行ったでしょう。ったく、親父は親父で直さなくていいからとかのたまうし、アンタは悪気なさげな顔してるし、こっちは十年ずーっと苛々してたのよ!」
あぁ、そうか。あの時の白い靄の正体は、彼女だったのか。しかし、今のようにこうして実体化?して現れたわけじゃないし、僕自身も実体化した彼女を見るのは初めてなのに、なんで覚えてるんだろう。
もしかして靄の状態でも見えたりするんだろうか。
きっとそうなんだろう。
そう言うことにしておく。
「で?」
「へッ?」
自分ひとりで納得していると、明らかに怒ってますと言う声でそう声を掛けられ、突然のことにひどく素っ頓狂な声をあげてしまった。
それに、彼女はストレスを感じたのか、今度は背中に黒いオーラを背負った。気のせいだろうか、白かった髪も、着物も黒くなっているように見える。
―――ごめんなさい許して。

327 名前:どん兵衛 4/11 :2006/03/30(木) 18:52:41 ID:T2UyjgM30
「だぁから、この戸、直してくれるんでしょ?直さないとは言わせないわよ?」
そう言って浮かべた笑みは、そこらへんのホラー映画よりも怖く見えて、はいはい、直します直します!と思わず言ってしまった。
直す道具なんて何も持ってきてないのに。
「でもアンタ、素手で直せるの?」
――いいトコついた幽霊さん!
「いや、それは無理であります!」
「………あぁ、そう。じゃあ取りに行って来なさい、待ってるから」
僕のふざけた調子に、彼女はひどく呆れていたが、まぁ気にしないことにする。とにかく、自分で壊したものは直さなきゃいけないし、
それに彼女にも随分と迷惑をかけてしまったようだから、
速攻で戻って道具を取ってくることにした。
その時に、戻ってこなければ怖い思いをしなくて済むとも思ったのだが、それこそ本当に呪われそうだからやめておいた。
「えと…じゃあすぐ戻ってくるから!行ってきます!」
無駄なハイテンションで言うと、彼女は呆れたままのようすで、はいはい、と返事をしてくれた。


慌てて山を駆け下りて、祖父の家に戻って工具を探していたのはいいのだが、途中で父に捕まり、なんとか逃げ出せたところで、
祖父に捕まってながーい話を聞かされたあと、挙句祖母と母に夕飯の手伝いまでさせられた。
そうして居る内に、外はすっかり暗闇で覆われてしまった。これじゃ山に登るのは困難そうだが、何とかして今日中に行きたかった。すぐ戻ってくる、
と言ったのもあるし、なんでか、彼女に会ってあげなきゃいけない気がしたから。
両親と祖父、祖母が団欒する中、僕はこっそりと広間を抜け出して、昼間探し当てておいた工具と、それプラス懐中電灯を持って、何が出るか判らない夜の山へと向かった。
何度も転びそうになりながらも、僕はやっとのことで祠のある場所まで辿り着いた。だが、ライトを当てつつ辺りを見回してみても、昼間の彼女の姿はなかった。

328 名前:どん兵衛 4/11 :2006/03/30(木) 18:53:42 ID:T2UyjgM30
「幽霊さーん?」
失礼な呼び方だというのは判っていたが、名前を知らないのでそう呼んでみる。すると、背後に気配を感じて振り返った。ホラー映画なら、ここで振り返ってみたら物凄く怖い幽霊とかが立ってて、それを見たら死ぬとか言うストーリーになるのだろうけど、
後ろに立ってたのは、昼間の綺麗な彼女。
「んな名前じゃないわよ!」
「いや、名前、教えて貰ってなかったし」
「む…そうだったわね。名前は…ミカド。あんただって、教えてくれてないけど?」
「あ、そう言えばそうだったね。僕は祐って言います、よろしく」
僕は名乗って手を差し出す。――が、彼女は握ろうとしてくれない。
「あんた…幽霊の常識って知らないの?」
言われて思い出して、僕は苦笑を浮かべつつ手を引っ込めた。そうだ、基本的に幽霊は人間に触れないし、人間は幽霊に触れないのだ。彼女の姿があまりに鮮明なものだから、忘れてしまっていた。
それにしても、こんなにも綺麗な彼女が、幽霊―――とは。それに、こんな山奥で一人で何十年も過して来たなんて、少し可哀想だ。だが、彼女が何故こんな山奥の、こんなボロボロな――と言うか、僕がボロボロにしたのか
――祠に住んでるのか聞こうとは思わないし、
なんでか聞いてはいけないような気がして、僕はそのことに関して深く触れはしなかった。
そうして考え込んでいると、ミカドは不思議そうに顔を覗き込んできて、慌ててなんでもないよ、と笑顔を浮かべた。取り敢えず、彼女がどうこうと考えている場合じゃない。祠をどうにかしてあげないと。
「今直しちゃうから、少し待ってて」
「えッ…あ、うん」
僕は暗くて見えにくい中、祠の修理に取り掛かった。


329 名前:どん兵衛 6/11 :2006/03/30(木) 18:55:10 ID:T2UyjgM30
どれだけ経過したのか判らないが、悪戦苦闘しつつも、漸く修理を終えた。不恰好と言っちゃ不恰好だが――彼女は納得してくれるだろうか。
「あ、あの…直り、ました、一応!…一応!」
ミカドは不満そうに祠を見詰める。やはり駄目か。そう思った時、彼女はぶはッ、と笑いを噴出した。
「え?ちょっと、ミカド…?」
「あっはっはっはっはッ!な、何その不器用さ!ガタガタじゃない!あっはっはっは!」
彼女は瞳の端に涙を浮かべて、腹を抱えて笑う。
何もそこまで笑わなくてもいいじゃないか、と落ち込んでいると、
「ご、ごめん、ごめんなさい。でもッ…面白ッあっはっはっは!男の子なのに!」
と、一度は謝ってくれたが再び笑い出したので、僕は溜息を吐いた。悪気があるというわけではないのだろうけれど、それでもやっぱり悲しい。こんなことなら美術の授業とかちゃんと受けとくんだった。
「と、とにかく!これで住めるだろ!?」
「うん、うん…有難う。はー、これでやっと落ち着いて暮らせるわ」
彼女は息を整えながら言う。
彼女はこのまま戻ってしまうんだろうか。このまま、僕の前から消えてしまうんだろうか。
唐突に、僕の中に不安が姿を現す。
ほんの少しの時間しか触れ合ってなかったのに、気付かぬ内に僕の心の隅に、大切な感情が生まれていた。それに今、不安が現れて始めて、気が付いた。
ここまで惚れっぽかっただろうか。
でも、僕は確かに彼女のことを―――――。
「あ、そうだユウ?」

330 名前:どん兵衛 7/11 :2006/03/30(木) 18:55:54 ID:T2UyjgM30
不安を掻き消すような楽しそうな声が、僕を現実へと引き戻す。はっとして顔を上げると、ミカドはにっこりと笑顔を浮かべていて。
「これ、お礼よ。ちょっと不恰好だけど、ちゃんと私の家…直してくれたしね」
「え、でも…」
「ヒミツのおまじないかけてあるから、アンタでも触れるわよ」
彼女がそう言うから、素直に受け取ってみると、その小さい鈴はしっかりと僕の掌の上に乗った。だがやはり――彼女の手には、触れられなかった。
握ろうとして、僕の手を冷たい感覚が包む。
「ユウ…だから私は」
「判ってる…判ってるよ!でも、どうにかして触れないの?だってほら、この鈴には僕でも触れるおまじないってのをかけたんだろ?だったら…」
「…ユウ……」
彼女は何を言っていいか判らなくなった様子で、手を下ろした。彼女を落ち込ませようとは全く思っておらず、自分が感情に任せて発言した言葉を取り消すように、僕は慌てて笑顔を浮かべて、
「あ、でも触れなくてもいっか。こうやって喋れてるだけで、僕は満足だし」
と、然して満足もしていないのにそう言った。しかし彼女は更に沈んだ表情をする。何かいけないことを言ってしまったかと、心配しながら顔を覗き込むと、彼女はすっと僕に背を向けた。
「話を…話をしていられるのも、あと少しの間だけよ」
「……えッ…?」
「帰らなきゃいけないでしょ?もう、時間だから」
彼女は―――ミカドは、こっちを向かずに、俯いて言葉を綴る。
「アンタと話せて『少しは』楽しかったわ!また…いつか機会があれば、会いたい…でも…」
それ以上の言葉を聞いてはいけない、と僕の中の誰かが言った。
この先の彼女の言葉を聞けば、永遠の別れになってしまいそうな気がして、聞きたくなかった。でも、僕が口を開こうとすると、彼女はそれを遮るように言葉を吐き出す。
「もう、会えないかもしれないのよ。私は、消えなきゃいけないから―――あ、でも。でもね!」
言いかけて振り返った彼女の顔は、嬉しそうな、でも何処か悲しげな、笑顔だった。
「アンタの為にこんなこと言うのはイヤだけど…でも、頑張るから。だから、だからまた―――」

「一緒に笑ってよね」

331 名前:どん兵衛 8/11 :2006/03/30(木) 18:56:38 ID:T2UyjgM30
彼女が言葉を口にすると共に、彼女の頬に綺麗な一筋が描かれた。それとほぼ同時に、僕がさっき直した祠の扉が開いて、中から青白い光が発せられる。
「ほんとに、帰らなきゃね」
「ミカドッ!!」
彼女の身体は光の中に引き込まれるようにして、薄く、薄くなっていく。笑顔が、涙が、手が、全てが、薄く―――。
僕は咄嗟に彼女に手を伸ばすが、まるで触るなと言っているかのように、発せられた光が強風を帯び、身体に襲い掛かる。少し力を抜けば、山の下まですっ飛ばされそうなその勢いに、顔を歪める。
「な、んで…なんで、だよ!理由を言えよ!消えちゃう理由を!会えなくなる理由を!…こッ…ここに現れた理由を!!」
「……言えないのよ」
「なんで!!」
またミカドは背を向ける。なんで、こっちを見てくれない。なんで、最後くらい―――いや、最後にしたくないけど、でもせめて、こっちを向いてくれよ。
「これからもずっとアンタと話してたい、笑ってたい。でも―――駄目なのよッ!!」
泣いていた。彼女は、辛そうに涙を流していた。こっちを向いてくれることはないけれど、声色で判った。
「ミカドッ…なんで、なんで…」
僕は、届かないと判っていながらも、必死にミカドに手を伸ばす。こうしている間にも、彼女の身体はどんどん薄くなっていき、やがては―――。
「どんな理由があるのか判らないけど、行かせたくないっ!」
「…私だって行きたくない!ユウっ、まだアンタと―――!!!」
ミカドは泣き顔で振り返る。そして、消え入ってしまいそうな色の薄くなった細い手を、僕に伸ばしてくれる。そんなに距離は離れていない筈なのに、彼女の存在が、手が、とても遠く感じる。
僕はずっと吹き付けている強風に耐えながら、最後の力と言わんばかりにぐん、と手を伸ばして、彼女の名を呼んだ。

―――――ミカド!!!

そのとき、ほんの一瞬だけ、僕の手に温もりが伝わった気がした。驚いた顔で彼女を見ると、彼女は先ほどの涙が嘘のように、綺麗な笑顔を浮かべていた。
そうしてそのあと、言葉を交わす暇もないほど急速に光は消え、そしてそれと共に、ミカドの笑顔も消え去った。

僕は最後の最後に触れたのだ、彼女の手に。

332 名前:どん兵衛 9/11 :2006/03/30(木) 18:57:24 ID:T2UyjgM30
大事にしていた祖父がなくなって、僕は仕事を休んで十年ぶりに祖父の家にやってきていた。
葬式が一昨日、納骨などは昨日の内に全て終わってしまっているから、今日は特にすることがない。
僕の部署の部長は随分と優しい部長で、一週間休みをやるからゆっくりして、気持ちを落ち着かせてこい、と言ってくれた。しかし、失礼だがこんな田舎じゃやることがない。
葬式の片付けだって、母と祖母がせっせと動いてくれたお陰で、僕と父は邪魔者扱いで、することもなかったし。
あー暇だーと縁側に寝転んで呟くと、近くに座っていた父がそうだなーと相槌を打ってくれた。つづけて、父は言葉を綴る。
「暇なら山にでも言って遊んでくるといい」
「…もう二十五なんだけど」
「少年の心は忘れちゃいかんぞ。ほれほれ」
言いつつ、父は自分が寝転がりたいからなのか、腹をばしばしと叩いて、追い出そうとする。いつもならそれに何が何でも抵抗して譲らなかったのだが、今回ばかりはそうすることが凄く面倒に感じて、僕は立ち上がって、和室を出た。去り際に縁側に目をやると、
嬉しそうに寝転がる父の姿が見えた。

父に言われたことを素直に実行に移すのは少々気が引けたが、特にコレといってすることも、やはりないので、素直に裏の山へ行って見ることにした。
山の入口まで言って、何か重要なことを忘れているような気がして、足を止めた。頭を捻ってうーん、と考えてみたが、思い出せない。
思い出せないなら大して重要なことじゃないのかもしれないな、と自分の中で適当に完結させて、止めていた歩みを進め始める。
昔とどこも変わっちゃいない。緑は沢山あるし、真夏のさわやかな風も吹いている。
僕はただ只管に歩いて歩いて歩いて、時には木の根に足を引っ掛けて転びそうになりながらも、どんどんと上って行く。そしてやがて、開けた場所に出た。
その場所は凄く大切なものを失った場所――だと思ったのだけれど、全く思い出せない。辺りを見回しても、これと言って珍しいものはないし、強いて言うなれば、円状に広がったこの場所の真ん中辺りに綺麗な一輪の花が咲き誇っているくらいだ。
意味も無くその花に近寄って、しゃがんで凝視する。


333 名前:どん兵衛 10/11 :2006/03/30(木) 18:58:09 ID:T2UyjgM30
本当に綺麗な花だ。白くて、光が当たって綺麗に輝いて、まるで、まるで誰かのような―――誰かの――。
不思議な感覚に包まれつつ、もう少しで思い出せそうな記憶の欠片を探るが、やはり上手いこと見つかってはくれない。
溜息を吐いて、立ち上がって、結局何の収穫もなければ、ほんの少しの暇つぶしにしかならなかったな、と落胆しつつ帰ろうと俯いて踵を返す。
もと来た道の方へ身体を向けて、目の前に気配を感じてはっと顔をあげると、そこには綺麗な女性が立っていた。
「お久しぶり」
彼女は――どこか見覚えのある彼女は笑顔を浮かべてそう言ったが、僕は思い出せなかったし、驚いたしで、何も口にすることが出来ずに、呆然と彼女を見詰めた。白のワンピースが眩しい。
「…はぁ…またこのパターン…?十年経とうが百年経とうが、アホっぷりは変わらないのね、ユウ」
名前を呼ばれて、隠れていた記憶の欠片の光が、頭の中に見えた気がした。もう少し――もう少しで、全部を思い出せる。
「そこ、何もなくなっちゃってごめんね。折角アンタが扉直してくれたってのに。ま、でも変わりにほら。花、植えておいたから」
――扉…?直して?――僕が、確か…。
「そうだユウ。覚えてる?これ」
彼女はそう言って、拳を開いて小さな鈴を出して見せた。それには見覚えがあった。僕もあれを持っている。何故か捨てもしないで、小さなケースに入れて、棚の中に仕舞ってある筈だ。でも、どうしてそれと同じものを彼女が?
何もかもが中途半端に記憶に絡み付いて、混乱していると、彼女は鈴を持っている方とは逆の手を、すっと差し出してきた。
「アンタが最後に触ってくれた感覚、まだ残ってるんだからね。あの時はまだ、あんな身体だったから、感覚は少ししか伝わらなかったけど、でも、ちゃんと覚えてやってるんだから」
―――感覚。手を、触ったときの。光の中で、風の中で、必死に手を伸ばしてやっと触れられた、あの感覚。
あぁ、そうだ――祠があった。彼女がいた。僕は壊れた祠を笑われながらも直した。彼女は消えると言った。信じられなかった。でも…彼女は消えた。だけどそのときに、彼女に、触れられない筈の彼女の手に、触れたのだ。
僕が好意を寄せた人。惚れっぽいわけでもないのに、何故か惹かれてしまって、大好きになってしまった人。
そうだ。そうだそうだそうだ!名前は――名前は。

334 名前:どん兵衛 11/11 :2006/03/30(木) 18:58:56 ID:T2UyjgM30
「ミ…カド…」

小さく、そう口にすると共に、僕の頭の中に鮮明な『あの時』の映像が過った。
「ミカド…ミカド!」
「やっと思い出したの?やっぱアホね。なんで私もアンタなんか―――」
嬉しくて、信じられなくて、僕は咄嗟に彼女を抱き締めた。触れるまで、触れられない、なんてことは考えていなかったが、抱き締めて始めて、自分は彼女の身体に触れているんだ、と言うことに気が付いた。
暖かい感触が僕の腕に、胸に伝わって、嬉しくて涙が溢れた。
もう会えないと思っていたが、いつしか彼女との記憶は消えていって、でも大事なことを忘れているような感覚にはいつも囚われていて。
でも、忘れていた僕に、彼女は会いに来てくれた。そして、思い出させてくれた。僕と彼女の思い出を。僕が彼女を―――好きだったことを。
抱き締めたまま、何を言っていいか判らずに、ただ名前を呼んでいると、彼女の腕がそっと僕の背に回されて、小さく、でも嬉しそうに、彼女は耳元で言葉を綴った。

「なんでアンタなんか、好きになっちゃったんだろ、私」

言ったあとに、彼女はくすりと笑んだ。それに僕も笑んで、言葉を綴る。

「もう、離したりしないから」